我が家が北海道に引っ越してから、もうすぐ2年の月日が過ぎようとしています。
ちょうど2年前の今頃、会社から人事の内示がでて怒涛のような「引っ越し準備」が始まりました。
過ぎてしまえば何事も経験なのかもしれませんが、幼い子供たち、それぞれの目線と尺度で
辛い事もいっぱいあったのだろうなと感じています。
一番は何だろう、仲の良い友達との別れ。
思い描いていた彼らなりの未来が消えてしまった事だったのかもしれません。
来年も同じクラスになれると良いね、とか。
そういった、小さな子供の小さな胸いっぱいの希望であったり「夢」が、大人の都合で叶えられなく
なってしまったのだろうと思うと、それはやはり親としても辛い気持ちになります。
だから僕は、新しい土地でとにかく楽しもう、幸せにしよう(なろう)と決意して一歩を踏み出したのですが。
この決断は、幾度となく繰り返されるのだと。
度重なるたびに、家族の思いの分だけ重くなっていくのだと日々日々感じます。
無差別に無慈悲に襲い掛かる自然災害。
岩手で過ごしたあの日の不安、あの時は感じられなかった誰かの苦しさ、そういったものがこみ上げてくる週末でした。
災害だったり、病気だったり、或いはそれ以外の日常様々な場所に溢れている些細な不安やストレスだったり。
これからを生きる子供たちに、どうか楽しい事や幸せなこともいっぱい溢れていて、生きていることは本当に
素晴らしくて、君たちがいるから頑張れた、という事を伝えていきたいと思うこの頃です。
その為に、今の僕に何が出来るのか。
僕自身も、様々な不安を抱える中で。
毎日を笑う事が出来なかったとしても、しっかりと生きている姿を見せる事以外に無いのではないかと。
家族の大病を機に命の長さと向き合う事になり、出産、祖父との別れ、時間の積み重ねから成る「命」について
とにかく考えさせられることが多かったように感じます。
僕は本当に憶病なので、もし自分もいつか癌と闘う日が来たら、とかそんな事を考え出すといつでも不安になってしまって。
ただ、その代わりに時々急に毎日の尊さを感じて「ああ今日も皆生きててよかったよなあ」とか、
泣き出しそうになるほど毎日の大切さを思い出す事があって。
いつ日記を読み返しても、同じことばかり考えている気がするのですが「大切なものを見失わず、歳を取っていけるなら」
それできっといいんだよなと思いつつ。
毎日ちょっとずつ、楽しい事をつまみ食いしながら(たまにはお腹を壊しながら)
笑って生きていられる事に幸せを感じています。
だから、顔も声も知らない誰かでも、こうして接する事ができた人が幸せでいられたら。
それはきっと素敵だな、と思いながら。
どうか、襲い掛かる不安・辛さに耐える人たちが1日も早く笑えますように。
全てを祈れるほど大きな心ではないですが、せめて繋いだこの手は自分の力で守っていかないと。
父として、夫として。
2021年02月15日
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