2018年11月26日

【日記】ゆかり。

大変ご無沙汰してしまっており申し訳ありません。
前回の投稿から一年近く経ってしまっております。
その間、それはもう色んな事があり、色んな事があったのですが僕も家族もひとまず元気です。

−急に、久しぶりに筆を取ったのは心を動かされる出来事があったからに他ならなくて。

家族そろって、我が家での夕食。(出張明けなので僕も早めに直帰)
娘の日課は、ごはん・おかずを全部綺麗に食べてからごはんをお替りする事。
彼女の楽しみは、「ふりかけご飯」。
おかずを全部綺麗に食べた人だけだよ、という嫁が作ったルールは一度たりとも破られることなく、
我が家における「ふりかけご飯」は見た目に反して子供たちにとってのご馳走になっているのでした。

選べる楽しみがあるように、と嫁はいつも2〜3種類のふりかけをストックしていて。
今日、娘は大好物の「ゆかり」を手にしたのでした。

サッ、サッ、サッ、ザッ。

嫌な音がして振り返ると、そこには床に散らばったゆかり。
袋の中には、もう残っていませんでした。
弟4才は「ぼくも食べたかったのに・・」と嘆くばかり。
娘は、「ごめんなさい、袋がさかさまになっちゃって・・ごめんなさい」。

ちゃんと謝れたからいいよ、今度から気を付けなよ。
おしゃべりしながらかけちゃダメだろ、気を付けなよ。
そう声をかけてからも、彼女は沈んだ顔で。
何かをじっと見つめているのです。

僕より先に、嫁は彼女の視線の先にある1つの置物に気が付いたようでした。
それは、昨日はじめて我が家にやってきた彼女のための「貯金箱」。
そこには、彼女が初めて手渡しでもらった自分のお金(50円玉 1枚、10円玉6枚)が入っていました。
手のひらいっぱいの小銭を嬉しそうに受け取った笑顔が、微笑ましかったです。

その理由は、近所のスーパー銭湯。
そこの入浴券を彼女が当てたので、料金100円分を「彼女が得する」形で還元した、
初めてのお小遣いだったのです。
※弟はお菓子をくじで当てて、自分の利益に直結したのですが娘は彼女自身の利益に繋がらないので
 嫁と相談した結果100円をあげたのでした。

彼女は、まだ6歳の彼女は、もらったばかりのお小遣いでゆかりを買おうとしていたのでした。
それに気づいた瞬間
なんだか、言葉が出なくなってしまって。

「じぶんがやった悪いことは、じぶんの責任なんだよ」
6歳の娘が、小学校でそう習った、と泣きそうな顔でそう呟くのです。

時には弟に意地悪したり、生意気も言う娘ですが。
ただ、この出来事ひとつだけで、僕は彼女を誇らしく思えた。

「ふりかけは、また買ってくるから大丈夫。大丈夫だよ」
そんな言葉しか出てこなくて。

ゆかりを食べたかった弟に、ごめんね、と謝る娘の頭を撫でるので精一杯でした。

あの貯金箱には、50円玉が1枚と、10円玉が6枚。
いつもの100円ショップに行った時に、ちゃんと買い物ができるようにとお母さんが
10円玉を1枚足してあるから。

君の好きなものを、自分のために1つ選んで買うと良いよ。
それがどんなものでも、決して笑わない。

見た目よりも、ずっとずっと大きくなった彼女と。
僕は、心の中で、そう約束したのでした。

posted by Muu.74 at 23:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2017年12月13日

【日記】つながる時間

皆さんこんばんは。
今年最大の寒波がニュースを賑わせていますが、出張先の新潟で見事に雪に見舞われました。
路面凍結と猛吹雪を乗り越え、やっとの思いで帰宅した僕を待っていてくれたのは家族でした。

数日間家族と離れると、(本当はいけないんですが)すっかり頭が仕事モードになっていて。
まして、数百キロの緊張を伴う運転から一気に解放されると脳みそが付いていかなくて。

玄関で駆け寄ってくる小さな子供二人の頭をなでながら、
「あぁ、これ俺のこどもか・・」
なんて思わず感慨深くなってしまう訳です。

以前から。
半年に一度くらい、頭の中の時間軸がすっぽり「父親になる前の自分」になってしまうことがあって。

いやあ、自分にこんな大きな子供がいるなんて信じられないな、とか。
こいつ、俺のこと「おとうさん」って呼ぶぞ、とか。
なんだか自分以外の違う生き物と暮らしているな、とか。

あぁ、この生き物は僕が居ないと死んじゃうんだな、とか。
小さい体を風呂で洗ってやりながら、思うわけです。

娘は、幼稚園でこんなことがあったよ、とか。
息子は、相変わらずライトニングマックイーンがどうのこうの、とか。
いつもだったら、「うるさいな」「少しはゆっくり風呂浸かりたいわ」と聞き流すのですが
5歳と3歳の子供が、久しぶりに会った自分の、父親と、言葉を交わしたいという欲求が
ストレートに伝わってきて、ただひたすら頷いてしまう訳です。
あぁ、本気で僕と話したいんだなと。
もう本当にどうでもいいような、昨日みたテレビの話とかを真剣に語る姿に。
あぁ、よくわからないけど僕と話したいんだなと。
嬉しくなるじゃないですか。

あの日、真っ黒な背景に白い塊がモニターの向こうで、もぞもぞ動いていた日。
嫁のお腹で小さく動くその生き物が、世の中に「こども」と認められた日。
僕は、わぁわぁ泣いて喜んだわけです。

その生き物が、僕たち二人が名前をつけたその生き物が、大きくなって僕を
「おとうさん」と呼ぶ。
いったい君たちはどこから来たんだろうか。
毎日ずっと見つめてきたはずなのに、時間を点と点で結ぶと目の前の事実が
唐突に信じられなくなる訳です。
あのミジンコみたいな豆粒だった生き物が。
すっかり人の形になって、目の前で、おとうさん、と僕を呼んでる。

なぜ、僕を「おとうさん」と呼ぶのだろうか。
あぁ、この子たちにとってそれが僕の「役目」なんだな、と。
一緒に泣いて、笑って、駆けずり回って、時には喧嘩して。
君たちが生まれてきてくれたおかげで、僕はきっと「誰にも代わりが務まらない」存在になれた。
君たちが生きていてくれるおかげで、死ぬまで、いや死んでも僕は「おとうさん」でいられる。

音楽の才能も絵の才能も、努力も中途半端でそういう意味では子供のころの夢なんて
何一つかなえられなかったんだけれど、この人生はなんて素晴らしいんだろうってそう思える。

嫁の腹を撫でて、「ここに、いたんだな」。
出張から帰って突然そんなことをする旦那に、「居たねえ」と笑う嫁。

10代のころには、本当につまらないことで頭を悩ませて何度死んでしまおうかと
思っていたそんな香ばしい生き物でしたが、今こうして生きててよかったとそう思えるのです。

そして、ひとつ訂正するならば。
僕自身が、生まれたその日から。
両親にとって、僕はすでに「誰にも代わりが務まらない」存在だったのだろうと。
僕にとって、子供たちがそうであるように。
馬鹿な子供だったあの頃はそんな事に気づけず何度も反抗してきた。
俺もいっぱいぶたれたから、今更ごめんねは良いよね。

美味い酒、買って帰るから。
ありがとう。俺を産んでくれて、ありがとうね。
降り積もる雪を窓の向こうに眺めながら、ちょうど4年前の今頃、癌と戦った母を思い出す。
つながる時間、受け継がれていく命の温かさを感じながら。

そう、生きてる。
posted by Muu.74 at 22:46 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2017年08月29日

【日記】Sくんとライトニング・マックイーン。

ご無沙汰しております、Muu.74です。
前回の日記から6カ月。随分と間が空いてしまい申し訳ありません。

我が家の子供たちも随分と大きくなってきて、育児という奴にも
随分と頭を悩まされるようになりました。
それはもう、単純に言う事を聞かない、とかそういうものではなくて。
この子たちの気持ちを考えた時に、どう答えればいいのだろうというか。

実際、蓋を開ければ我が家では当たり前のように「走るな」「うるさい」
「いい加減にしろ」という言葉が飛び交っているのですが、その目を
じっくり見つめた時に「あぁこいつら僕の子なんだな」と。

相手のした事が気に入らなくて、ついカツとなって手を出してしまった。
思い通りにいかなくて、大声を出してしまった。
伝えたい事がうまく伝わらなくて、罪もない物に当たってしまった。
ごめんなさいと謝れば済むのに、いつまでたっても意地を張っている。

ああ。
子供の頃、そんなのしょっちゅうだった。
30過ぎた自分にだって、そんな事ある。
その度に、情けないなあって自己嫌悪になる。
そんな大人から生まれた子供が、器用にできるだろうか?

だから最近、「わかるよ」という言葉を言うようにしています。

「どうしても買って欲しいんだろ、家にある玩具じゃ駄目なんだろ?」
「お父さんも子供の頃よくそうやって泣いたし、どうしても、どうしても
 それが欲しいっていう時あるよ」
「わかるよ」
「カッコいいもんな、お父さんだって欲しくなるよ」

ねだり倒して買ってもらったライトニング・マックイーンのステッカーを
ボロボロにしてしまった事。
それを突っ込むと、息子はこう切り返した。

「あたらしいマックイーン、かえばいいよ」
「まえのは、ぽい、すればいいよ」

「じゃあ、Sくんがケガしたら、お父さんも新しいSくんと交換していいかい?」
「おもらしをしない、なんでも言う事を聞いてくれるSくんと交換していいかい?」

Sくんは嫌だ嫌だと泣いて抱きつきました。

Sくんが、営業マンである僕を口説き倒して買った玩具のひとつひとつ、その
トークをお父さんは覚えているよ。

「あたらしいやつだよ」
「しゃべるんだよ」
「おとがなるんだよ」

そのマックイーンは、雨の中どしゃぶりのディズニーランドでお父さんが不機嫌になって
お母さんと喧嘩した時に買った奴なんだよな。
その後皆で仲直りしたっけ。

「思い出は」
「買えないんだよSくん」
ちょっと難しかったかな、と思ったけどきっと解ってくれると思った。

Sくんがマックイーンと同じくらい大事にしている、ラーメン屋さんでもらったおまけの
ミニカーが調子が悪いというので寝ている間に直してあげる事にした。

他の仲間たちと遊べるように、顔を付けてあげた。
明日の朝、Sくんを驚かそう。

君が毎日、僕をアッと驚かせてくれるみたいに。
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posted by Muu.74 at 22:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2017年02月09日

【日記】心の値打ち。

大変ご無沙汰しております、Muu.74です。
夏の更新から半年近く経ってしまい申し訳ありません。
昨年の今頃は、会社から人事異動の内示を受け引越先を探すのにバタバタとしていました。

転勤や就職や受験や卒業。
色んな人たちの環境が変わり始める、その兆しがあるこの時期は期待もストレスも多いと思います。
ただ近頃思うのは、人の気持ちっていうのは値打ちがつけられない大切なものだなあと。

お金は大事ですよね。
欲しいものを手に入れる、って事はそれ自体が目標だし心を満たしてくれる。
例えば、新しい楽器や機材を買ったり。
それはもう、テンションが上がる「自分へのごほうび」な訳です。
二年前に思い切って購入したAXISなんかは、僕にとってギターに対する価値観を変えるくらい
見事な名器だった訳ですが。
ギターを弾くことが、沈んだ自分の気持ちを奮い立たせてくれる事も事実で。
そうやって20年くらいギターと付き合ってきた訳なんですが。

じゃあ、毎日ギターが弾けるくらしだったら人生幸せか、ずっと笑顔でいられるかというとそうでもないと思うんです。
生きてれば、必ずストレスも悩みもつらい事もある。
たぶん、良いクルマに乗って素敵な服を着て美味しいご飯を食べても、それ自体は幸せだけどやっぱりつらい事はある。
それが積もり積もっちゃうと、どうして生きてるのかとか解からなくなっちゃうと思うんですよね。
そんな生活の中で唯一の救い・支えだったのが恋人だったとして、何かの弾みでその関係が崩れてしまったらもう自分の人生が終わったような気分になってしまう。
逆に、例え毎日が幸せでも「こんな暮らし続くのかな」みたいな急な不安に襲われたりとか。

じゃあ、どうやったらその不安って消えるんだろうと。
個々の悩みに対して、例えばお金が解決してくれる事はたくさんあると思うんです。
でも、どうしようも無い事もすぐに解決できない事も、頭いっぱいの不安をどうしても抱えたまま
布団に入って明日を待たなくちゃいけない事もある。

そんな時、自分よりもよほど小さな手が、だけどどうしようもなく温かいその手が自分を撫でてくれたら。
「おとうさん だいじょうぶ?」って。
なんだよお前さっきまでプリキュア歌って馬鹿みたいに騒いでたじゃん。
何そんな顔して心配してんだよ。
俺そんな暗い顔してたか?って。
「大丈夫。ごめん」
そういって頭をなでてやると、なんだか嫁に似た顔で笑う訳です。
いいから早く歯磨いて寝ろよとか、そんな説教するの忘れてしまう訳です。
子供ってずるいなあ。

全く毎日、よくそんなに騒げるな、というくらい煩い子供達ですが。
何の解決にならなかったとしても、その真っ直ぐな思いやりって心に響きませんか。
これはもう、何かに変えられるものではないと。

親の言うことなんて聞かない子供が、真っ直ぐな目でただただ自分を心配してる。
俺しっかりしなきゃな、って。
状況が何も変わらないなら、自分が変わるしかない。
ずっと前から解かっていたことなのに、いつも形を変えてその壁にぶつかる。

何かが上手くいかなくても、自分たちから生まれた命が全力で生きて、泣いて、笑って
毎日を過ごしてる。
その命が僕のために心を尽くしているとしたら、それは子供とか大人とか関係ない。

ありがとうと。
心の底からそう思うわけです。

生きてると、お金なんて幾らあっても足りないしお金はもっと欲しいけれど。
いや、お金は大事だしみんなのために頑張って働くけれど。
なんだか子供に、大事なことを思い出させてもらいました。

心の値打ち。
それはきっと、自分が思えば思うほど誰かにとって価値のあるものになる。
元手はゼロ、自分次第。
誰かに優しく生きられる人間になりたい。(ああ余裕ないってダメだなあ)

こんな凄い力が、毎日の暮らしに溢れていたこと。

明日も、頑張って生きよう-。
そんな風に、思う今日この頃でした。

posted by Muu.74 at 16:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年08月07日

【2年ぶりの】Ambitious in the Wind.#【新曲更新】

大変ご無沙汰しております、Muu.74です。
Web拍手等々、温かいコメントを寄せて頂き有難う御座います。
岩手から長野に引っ越して4ヶ月が過ぎましたが、何とか生活のリズムも
整いつつある今日この頃です。

娘は念願の幼稚園へ。
初めての集団生活に戸惑いながらも、少しずつ友達も出来たようです。
この前父母参観があったのですが。
友達と喧嘩して泣いてしまったり。
そんな彼女を、慰めてくれる友達の姿が見えたり。
随分大きくなったと思っていましたが、3月生まれの彼女はとても幼く見えて。
今こうしている間も、彼女の顔を思い出すだけで笑顔になれるのでした。

僕ひとりの都合に付き合わせて家族を振り回してしまいましたが、
少しでも多くの笑顔をこの土地で作っていけたらと思います。

息子は2歳になりました。
車が大好きで。
「しょうぼうしゃ」「きゅうきゅうしゃ」「ぱとかー」の次に覚えた
名前は「ぽるしぇ」と「まくらーれん」でした(笑)

可愛いです。そんな子供たちを抱き締めている嫁には、何年経っても
「この子たちを産んでくれてありがとう」って伝えたい。

一足先に夏休みになった彼女達は、里帰りしました。
駅まで送るよ、と言った僕に「戸締りするから子供たち、お願い」と促す嫁。
「さっき俺、締めたよ?」 『もう一回見てくるから』
見送りから帰宅した僕を待っていたのは、彼女からの一通の手紙でした。

僕らは決して初めからこの形だった訳ではなく。
学生の頃は、毎日のように喧嘩をして毎日のように罵り合っていました。
それはもう、綺麗な言葉ではなく人間性を否定するような言葉で。
彼女の人生に大きく傷を残すような出来事も幾度となくありました。
優しいお父さんでも仕事熱心なサラリーマンでもなんでもなくて、
僕は、気がつけば愚痴をこぼしたりすぐに泣いたりするような負け犬で。

でも、この歳になってそんな自分でも精一杯守りきらなきゃいけない何かを手に入れて。
誰かの力になれるなら、誰かの笑顔が見れるなら。
そんな思いで今日も娘が帰ってきたら喜ぶだろうな、と思いながら彼女の
運動靴を風呂場で洗っている訳です。

長くなりました。
そんなこんなで「僕ひとりの時間」が少しだけ出来たので、ニコニコ動画に新曲をUPしました。
6年前の今頃、初めてボカロと出会ったときに作った曲のリメイクです。
昨晩公開し、相変わらず伸びはいまひとつですが・・・何か目標を作らないと長時間作業に
打ち込む気力もなく。エアコンの無い作業場で丸一日、昔のようにギターをかき鳴らし
録音が終わると車に乗りカーステレオで全体の音量を確認し・・・。
ああ、曲を作るのってこんなに大変だったんだなと思い返しながらも、「やっぱり
楽しいな」と思えたのでした。

作り手と聴衆の分母が数年前とは桁違いの昨今、自分が投稿したひとつの楽曲が埋もれて
しまうのは目に見えているのに、(正直それは怖いものです)それでも誰かに届くなら、
という思いで公開してしまいました。
仕事柄、数字が気になる悪い癖があります。「あぁ、前のよりイマイチだったかなぁ」とか。
でも、どう考えてもこの趣味は僕にとって自己満足の世界でしかなくて。
それに耳を傾けてくれている人が居るというのは幸せな事ですよね。

次に曲を更新できるのはいつかわからないんですが。
誰かが僕の名前を覚えていてくれるなら、そんな淡い期待を胸にいつかギターを弾きます。

それでは、また・・・。

posted by Muu.74 at 11:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | VOCALOID